綱引競技の起源は、言うまでも無く世界各地で見られる様々な形での神事や、伝統行事としての「綱引」に諸資料からその源流を見ることが出来ます。
「綱を引く」と言う事は、世界各地で古代より儀式と信仰から始まり、豊作を祈る行事、争いごとを鎮める手段、領土を獲得する為のものなど、世界各地で様々な形態として見られます。

日本での「綱引」の歴史も古く、アジア諸国と同様、五穀豊穣や吉凶を占う儀式として各地で行われており、現在も日本の各地で伝統行事として様々な形の綱引が数多く行われています。
有名な綱引としては、北は秋田、大曲の大綱引、南は沖縄、与那原の大綱引など、いずれも豊作、豊漁を占う催事として行われ、現在でも多くの地域で伝統行事として引き継がれています。
神話の世界にも「綱引」は登場し、出雲風土記の「国引き」伝説などよく知られています。

このように、神事、伝統的行事としての「綱引」が世界の各地で引き継がれて現在でも行われています。
形こそ異なりますが、そこには勝ち負けの判定が存在し、そのためには一定のルールが存在します。

日本で競技として行われたものとしては、飛鳥、奈良時代の蹴鞠、打毬、投壷と言った貴族の遊戯に端を発するとの事です。鎌倉、室町時代に入って庶民の遊戯が盛んになり、首引き、指引き、腕押しなどとともに遊戯として「綱引」が行われるようになりました。この様子は、室町時代の作品「洛中洛外図」や、名古屋城の襖絵などにその情景が描かれ、庶民の遊戯として親しまれていたものと思われます。

日本での「綱引」は、明治以降国内各地で行われるようになった運動会の普及とともに、体育的行事の種目として現在まで広く行われています。明治13年には明治天皇が、吹き上げ御所で近衛兵による「綱引」をご覧になったと言うことが、明治天皇行幸年表に記録されているとの事です。

綱引競技とオリンピック

ヨーロッパでスポーツが組織されるようになり、クーベルタン男爵により古代ギリシャのゲームにならってオリンピックが復活されました。

この近代オリンピックが始まったとき、アスレチック競技(陸上競技)の種目に綱引競技が含まれ、1900年の第2回パリ大会から1920年のアントワープ大会まで行われていました。

開催地
1900 パリ(フランス) スウェーデン アメリカ フランス
1904 セントルイス(米国) アメリカ アメリカ アメリカ
1908 ロンドン(英国) イギリス イギリス イギリス
1912 ストックホルム(スウェーデン) スウェーデン イギリス -
1916 中止(第一次世界大戦)
1920 アントワープ(ベルギー) イギリス オランダ ベルギー

しかしながら近代オリンピックは、種目の増加、参加競技者の肥大化等が戦後の世界経済不況で問題化し、1920年を最後にIOC(国際オリンピック委員会)の投票により、綱引競技はプログラムから削除されました。